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宝蔵寺(ほうぞうじ)は、茨城県古河市諸川にある真言宗豊山派の寺院。 山号を慈光山、院号を大善院という。創建は室町時代以前。日光東街道・諸川宿のほぼ中心に位置する。 == 歴史 == === 中世・創建期 === 正確な創建時期は不明だが、室町時代の康正 3年(1457年)、山川郷諸川を支配した山川景貞により、円福寺に末寺として寄進されている〔円福寺所蔵 「山川景貞文書」(康生 3年・1457年)、および、同じく「山川景貞文書」(年不詳)より〕。円福寺は当時、古河市に隣接する八千代町の今里にあり、現在は下妻市下妻丙に所在する。円福寺過去帳に見られる歴代住持のうち、行堅と行乗が宝蔵寺に入った。〔『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 309-310頁(諸川宝蔵寺と円福寺・細川涼一 執筆)〕 文明 2年(1470年)、性宥によって中興される〔宝蔵寺所蔵 「諸川宝蔵寺柄書上帳」(天保 8年・1837年) 『宝蔵寺のたからもの』 図録 No.23 〕。性宥以前については、天明 5年(1785年)3月に作成された宝蔵寺歴代住持の位牌に、代々先師として行堅と行乗が挙げられていることから、行堅が開山とされたことが分かるが、他に裏付けとなる史料がない。中興以前は円福寺のもとで、醍醐寺三宝院流の支流・地蔵院流実勝方の真言宗寺院として栄えた。〔『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 311-312頁(地蔵院流実勝方・細川涼一 執筆)〕 中興以後は、性宥により鶏足寺流(慈猛意教流)がもたらされたと考えられている。寛永10年(1633年)の『関東真言宗 本末寺帳』〔寺院本末帳研究会編 『江戸幕府寺院本末帳集成』上、雄山閣出版〕に、諸川宝蔵寺は「本寺鶏足寺流」とあること、また、小松寺の「願行流血脈」〔『茨城県史料』中世編 II、「小松寺文書」 88号〕 に記された鶏足寺流相承者に「伏木大聖院の性宥」があり、宝蔵寺中興の性宥と同一人物と推定されることによる。〔『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 316-318頁(宝蔵寺と鶏足寺流・細川涼一 執筆)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝蔵寺 (古河市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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